長い3年間でした

うちの子どもは、自閉症スペクトラム障害の

持ち主です。

三つ組 と呼ばれる症状のうち、

ASD(高機能自閉→現在ではアスペルガー症候群)

傾向がいちばん強い人。たまにADHD(多動)の

様相も見える具合です。LD(学習障害)の傾向は

少な目ではあるものの、感覚の過敏さとこだわりの

強さがあり、一般生活になじめない。

というところまでが、15年間で判明していること

です。


そんな人が、公立の中学に通うのは大変でした。

基本、少人数で特別な配慮がある支援学級に通い

副教科や給食などの時間は交流学級に行く日々。

連日、予想以上にいろいろなことがありました。


通っていた中学は

「あー、あの学校ですか・・・」

と、隣の府のデイサービスの先生が

遠い目をして心配そうに言うくらい

かつて荒れていた学校だったらしい。

3年間親目線で学校を見ている限りでは、

今はそれほど荒れた生徒はいないよう

でした。ただ、当時の生徒への対策が残って

いるのか、いろんな点でキッツい校則が残っ

ているなあ という印象。


昔の自分だったら、その都度

「それぐらい我慢しなくちゃ」

と言ったと思います。

が、”他とちょっと違う子どもの親”という

立場に立って眺めてみたとき、そこはとても

窮屈な環境のように感じました。


幸い、支援学級の先生はいつも親身に

なって下さって、その熱心さには他の

施設の先生が感心するほどでした。

3年間、通えたのは先生のおかげです。

が、その先生がどれほど息子本人のことを

理解してくださったところで、いわゆる

”昔ながらの先生”に分かってもらえない。


(昔ながらの先生が軟化してくれれば・・・)

とよく思ってはいたものの、いつも夜遅く

に電話をくださる先生に、これ以上負担を

かけるわけにはいかない。


小学校の同級生で親切にしてくれていた交流

(いわゆる通常)学級の人たちも中学生、

関係も変化してきます。

イヤーマフをずらされる、

「○○さんに『嫌い』って言ってきてよ」

「あいつのパソコン自由に使っていいぞ」

など、からかわれることも増加。

どうしたらいいねん!(パニックになるとき

だけ関西弁になる人)

と家で叫んだりすることも多かった。


頼りになるのが、放課後デイサービス・・・

ですが、学年が下の利用者さんが増え、

全体的な対応が”小さなお子さん向け”に

変わっていったことに、本人は

付いていけなくなったようでした。


年齢相応の対応をされたい、小さな子

のように扱われるのは納得がいかない、

でも通常の人みたいには動けない。

「もう、僕は、

障害者として生きればいいのか

普通の人として生きればいいのか

分からなくなってきた」

とは、2年生のころに

困り果てた息子が発した一言でした。


自閉症の思春期は荒れる とは

小学生のときから親向けセミナーや

学習会 などで聞いていたことですが・・・

・・・ほんまに荒れます。荒野です。


昨日の卒業式では、同じ支援学級の

子のお母さんとお話をする機会が

ありました。

荒れ方は違えどやはり荒れまくりで

大変苦労なさったらしい。お互い

長い3年やったよね と

中学生の親生活をねぎらったのでした。

Speakeasy

スピークイージー=もぐり酒場、隠れ家カフェ の意。 入るときの合言葉はいらないけれど、極力リンクを貼らない、宣伝しない 来たいかただけどうぞ という場所。

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