昨夜のカレー、明日のパン
天津飯のあん の地域性の違いを放映していた
テレビ番組で、天津飯のあとに言っていた話。
「『明日のパン』という表現は、東京では通じない」
え、そうなの?びっくりした。
毎日わたし「あー明日のパン、買わなあかん・・・」と
思って買い物するのになあ。
何でも、東京では「明日のパン」と言わないのだ
そうな。「明日」も「パン」も、言葉としては
共通語なのに「明日のパン」という言葉は東京に
ないのね。
たとえば、『燃えるゴミ』という言葉が変だから
最近『燃やせるゴミ』とか『火をつけると燃えるゴミ』
とかって表記をしている、あんな感じ?
『明日以降に食べるパン』みたいに言わなきゃダメ
なのかも。
・・・そう思ってしまうわたしは関西人なので、
「明日のパン」とう言葉のどの部分が妙なのかが
よく分からないんです。
単語としてないのは、仕方がない。
だから、東京のどこかに
「明日のパン」
という屋号のパン屋ができたらいいのに
と思った。
「あ、『明日のパン』買っておこう」って
言葉が定着するかもしれないし。
ちなみに、我が家の朝は夫がパン党
息子がごはん党、わたしが日和見党
(あるものを食べる)なので、
夫が出張などで不在になった前日は
「明日のパン」のことを考えなくて
いい日になります。
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