読めるか読めないかの話
昨夜、息子が残念そうに
「僕って空気読めない人だなあ」
と言っていました。
何を今さら と言いたくなったのを
こらえて、
「まあ、そこに気がついたのは
いいことやね」と言うに
とどめておきました。
ようやっと自分が他と違うことを
理解した・・・のか??
学校で誰かに言われたのか、
それとも自身で気がついたのかは
分からないです。
ちょっと前、空気を読めない人
というのが大変嫌がられていた
時期がありました。
KYというやつ。
わたしもそういう人を苦手に
思っていた一人です。それ故
先々の手を読んで行動しすぎる
傾向がありました。
夫も同じような感じなので、
息子がいないころは二人で
「それ、KYな行動!」と
よくチェックし合っていた
ものです。このときのKYは、
”空気読みすぎ”の略。
ところが、子どもが現れて
その人の様子を見ていると
「空気を読めない人も
一定数いるもんだ」
ということが分かった。
先月だったか、星野源さんが
ラジオで
「”気付かない”っていう状態が、
実は一番幸せなのかもしれない」
ということを言っていらして。
それにはすごく納得した。
空気を読まなくて周囲をひやひや
させる息子の言動ですが、
全然気にしない様子を見ている
限り、本人はそれなりに幸せ
なんじゃないかと。
だから、自分が空気を読めない
ってことに気がつき始めた人が
本当に苦労するのは
これからかもしれないです。
空気読めなくてもそれなりに
いいじゃないかと親は思い始めて
いたところの、本人のKY自覚。
空気を読むのは難しいから、せめて
少しでも、周りの空気がどんな
ものかを知ることができたら
いいのにね。
最近本で読んだ。
発達障害の人のなかには、
”カムフラージュ”と言って
自分の特性を隠して、周囲に
溶け込もうとしている人がいる。
そう考えると、空気を読もうと
して先回り行動ばっかりしていた
自分も、実はカムフラージュで
発達障害だったのかもなあ と
思った。
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