どうして着物なの?

週末、久しぶりに着物を着ました。

子どもの入学式以来に着た


冠婚葬祭やお式などのイベントで

着る改まった場の着物よりは、

日常的に着るような着物が好きです。

朝ドラで言えば、大正時代から

昭和初期ごろの、日常的に着ている

和服が素敵やなーと思っている。

そういうのを主に着るので

「あら奥様どちらへお出かけ?

って感じですね」

と言われたら「負けた~」って思います。

着物を、特別なイベントのものに

したくないのですよ。


「お金をかけずに着る」を

モットーにしています。家にある

着物はほとんど、実家の母が持って

いたもの。いくつか、夫の母が

譲ってくれたものもあります。

着つけは、最初名古屋の教室で

無料で教えていただきました。

以降は有料の教室で教えていただ

いたりもしました。


はっきり言って、時間かかります。

面倒です。今は、暑いです。

それでも着るのはどうしてか。


子どもの入学式、卒業式 で着るのは

「おめでとう」の気持ちを表せるから。

あとは、着物を着ている人が少ないので

「少数派でも堂々と進め」という意味も

含めています。子どもが”少数派”だから。

ここまで思いをこめられる服装が、

着物以外にない。


山崎育三郎主演の去年のドラマ『リエゾン』

では、ロリータファッションの言語聴覚士の

人が出ていて。

「いちばん自分を表現できる服なので」

とロリータ服を着る理由を言っていました。

おそらくそれと同じ。


あと、サステナブルとかエシカルとか、

最近よく聞く言葉の意味を

考えたときに、自分に出来ることが

着物を着ることくらいなのですよね。


2年ほど前、ミナ・ペルホネンの

『つづく』というファッションの展示を

見に行き、皆川明さんの講義を聴いた。

ファストファッションのお店が増え、

手ごろに洋服が選べるようになった

この時代に、”長く着続ける服”を作る

その姿勢には大いに考えさせられたし、

そういう服を着たいと思った。

けれども、ミナ・ペルホネンの服を

着ようとするには、自分にはなかなか

届かないんです。足りないのは

懐と、背の高さ・・・

なので、今、家にあるもので

『つづく』を表現できる服が

着物だったのです。


少し前まで、子の小学校の卒業式では

着物(袴)を着る卒業生がいたの

ですが、いつの間にか全面禁止に

なってしまいました。

お金が掛かったり、コスプレに

なったりしなければいいと思うし、

もしかしたら「ママの和服を着たい!」

と着る練習をする子だっていたかも

しれない。文化に触れる機会が無くなる

ようで、ものすごく残念に思った。

よっしゃそれならば自分が着てやるわ!

と、息子の卒業式に着ました。大雨のなか

雨ゴートを着て爪下駄を履いて列席

しましたよ。


世の中のちょっとしたことに

抵抗するように着物を着るあたり

わたしにとって着物は

ロックなのかもしれないです。

周りにとらわれず、

固い意志を持ち、

思いを貫く。


昔はきっと、世のお母さんたちは

こぞって着物を着て

お式なんかに出ていたのに、今や

和服を着たほうが何だか

思いが強い人のような気がする って

妙な感じ。

Speakeasy

スピークイージー=もぐり酒場、隠れ家カフェ の意。 入るときの合言葉はいらないけれど、極力リンクを貼らない、宣伝しない 来たいかただけどうぞ という場所。

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